研究室紹介 京都大学生命科学研究科全能性統御機構学分野

(株)裳華房『遺伝』1999年11月号 p69-71; 研究室・研究所めぐり(19)より許可を得て転載

 我々の研究分野では植物を対象に細胞のもつ分化全能性を分子レベルで解明することを目的に研究を行っている。分化全能性とは1個の細胞から個体を再生する能力である。挿し木や挿し芽の例からも判るように植物は動物よりも高い個体再生能力をもち、この性質は細胞レベルでも維持されている。オーキシンやサイトカイニンといった植物細胞の分裂・分化を制御する植物ホルモンの発見、また、無菌操作等の技術の発達により、植物のもつ分化全能性は育種や園芸など農業分野において広く利用され、さらには組換え植物の作成にも重要な役割を果たしている。
分化全能性の利用はこのように実用化の段階にあるが、この分化全能性がどのように制御されているかは、実のところよく分かっていない。我々の研究室では、平成11年4月より京都大学に新設された生命科学研究科(http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/)の一員として再出発するにあたり、この分化全能性制御機構を解明したいと考えている。具体的成果は未だないが、分化能に違いのある植物種や変異株の収集、作成とその遺伝子型の解析を行いつつある。
 一方、これまで農学研究科分子細胞育種分野として、植物細胞の多彩な機能分化について研究を進めてきた。前述の分化全能性はこれまでの研究の延長線上にある。以下、植物細胞の機能分化をめぐる我々の研究を紹介する。

図1 分裂途中の色素体  
糖を含む培地で7日間明所下培養したタバコ細胞(Nicotiana tabacum cv. Samsun NN, PA細胞株)の電子顕微鏡写真、下線は1 mm、PG, プラストグロビュール、矢印は分裂途中の葉緑体に特徴的に認められた包膜に近接する小胞を示す (Methods in Cell Sci., 21:149-154 (1999), Kluwer Acad. Pubより引用)


A) 植物細胞における光独立栄養機能発現
 我々が今もっとも着目している植物機能は光合成である。植物は光、水、無機栄養素、二酸化炭素のみで生育する。この光合成機能は植物細胞固有の細胞内小器官である色素体(葉緑体)によって行われている。色素体は細胞の分化(葉、茎、根の生長点、柔細
胞や表皮細胞など)に伴い、原色素体(プロプラスチド)を起源とし、光合成を行う葉緑体、でんぷんを蓄積するアミロプラストなどに分化する。我々は、試験管内培養細胞系を用いて、葉緑体の分化制御機構を解析している。通常の培養では、脱分化ならびに糖源の添加により、葉緑体の分化は抑制されるが、細胞選抜により光合成のみで生育する細胞株が確立できる。この光独立栄養培養(PA)細胞は、光合成を行う植物体のモデル系として種々の薬剤(除草剤等)のスクリーニングや薬剤の作用機構の解析に使うことができる。一方、この細胞では、葉緑体が分化しつつ、分裂・増殖している(図1)。
通常の植物体では、若い葉において葉緑体の複製が行われ、葉の成熟に伴い葉緑体の分化が完了するが、培養細胞系では継続的に葉緑体の複製・分化を研究できる。現在、PA細胞株を使って、緑葉とのディファレンシャルスクリーニングにより、培養細胞に特異的なEST(発現遺伝子)の塩基配列を決定し、これら約70の機能未同定ESTより葉緑体の複製に関与すると考えられる遺伝子を見いだすことを試みている。

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図2 CND41遺伝子の発現抑制によるタバコの生長抑制
 WT,野生株(N. tabacum cv. Samsun NN)、R22-1, R22-2, R28-1, CND41のアンチセンス形質転換タバコ (理化学研究所 中野雄司博士との共同研究)

 一方、光合成機能を分化した葉緑体と、機能分化の未発達な原色素体では、その中に存在するDNA(遺伝子)の折畳まれ方が違う。我々はDNAの折畳み(核様体とよばれるDNAタンパク質複合体の形成)を制御する因子が葉緑体の分化を制御しているのではないかと考え、培養細胞の葉緑体から新規なDNA結合タンパク質CND41を単離し、その構造と機能を解析している。葉緑体核様体の研究は日本の研究者が先導する研究分野であり、CND41以降、いくつかの核様体DNA結合タンパク質cDNAが単離されているが、CND41DNA結合性とプロテアーゼの2つの機能ドメインをもつという特徴がある。当初、CND41は葉緑体の分化を正に制御すると考えていたが、CND41の発現を抑制したアンチセンス形質転換タバコでは葉緑体遺伝子産物の蓄積が増加すること、また、ある種の細胞では葉緑体の分化の促進が見られるなど、葉緑体の分化抑制因子として機能している可能性を推定するに至っている。一方、興味深いことに、CND41の発現抑制によって、生長(茎長)の抑制、老化の遅延が見られた(図2)。色素体の発達は、光合成を介して生育に関与すると考えられるが、現在検討中の解析によると、色素体の発達が植物ホルモン生合成を介して個体生長に関与している可能性が考えられ、新しい研究分野への発展を期待している。

B) 植物細胞の環境ストレス応答と耐性
 一方、植物細胞は環境変化(ストレス)に対して、様々な応答機能を備えている。培養細胞は植物の環境ストレス応答機構あるいは耐性機構を解析するよい系でもある。光合成は様々のストレス(塩、乾燥、強光、低温、高温、感染等)により容易に傷害を受けることから、PA細胞株は光合成機能の応答機構を解析し、ストレスに強い植物を育成するモデル材料になる。PA細胞株より耐塩性細胞を選抜するとともに、塩ストレスの標的の1つである光化学系IIの酸素発生系(OEC)、特に23 kDaタンパク質によるOEC機能の分子再構築や、光合成の循環的電子伝達系におけるNAD(P)H脱水素酵素の機能解析等を、葉緑体遺伝子の形質転換(図3)や、組換え遺伝子を用いた異種タンパク質発現系、形質転換植物等を用いて解析している。

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図3 葉緑体形質転換植物の作出
葉緑体ゲノムにコードされるNAD(P)H脱水素酵素遺伝子ndhC, J,Kオペロンの一部をスペクチノマイシン耐性を与えるaadAカセットで置換することにより遺伝子破壊を行った。写真はスペクチノマイシンを含む培地での形質転換株の選抜(遠藤剛博士提供、奈良先端科学技術大学院大学鹿内利治博士との共同研究)

C) 二次代謝機能
 植物は細胞レベルでの生存には必須とは考えられない様々な化合物を生産する。これらの化合物は花色や香りとして我々を楽しませてくれるとともに、香辛料や医薬、染料など様々に利用される。これらの化合物は特定の細胞・組織で生成されることが多く、その発現制御の解明は、植物細胞の機能分化を理解し、応用するうえで重要である。細胞選抜により確立した有用アルカロイド(ベルべリン)高生産オウレン培養細胞は、その生合成系酵素遺伝子の単離、さらには、これら遺伝子を統括的に発現制御する因子の単離のよい材料である。また、ムラサキの作るナフトキノン系赤色色素(シコニン)は世界で初めて培養細胞による工業生産がなされた有用代謝産物であるが、その生合成は光によって強く阻害され、光による遺伝子発現の抑制機構の解明のよい材料である。
 一方、植物細胞は生産した2次代謝産物の多くを体内に蓄積するが、これら化合物は強い生理活性をもつことから、その細胞内での適切な隔離は細胞毒性の緩和と物質の大量蓄積という観点から重要である。現在水溶性のベルべリンと脂溶性のシコニンをモデルにその蓄積機構を解析しているが、特にベルべリンの液胞への蓄積(図4)にはABCトランスポータによる能動的輸送の関与が推測され、その分子機構の実体究明を急いでいる。これら低分子化合物の輸送機構の解析は、有用物質の大量生産に不可欠であるばかりか、現在問題になっている環境汚染物質の浄化の観点からも有用であると考えている。


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4 オウレン細胞におけるベルべリンの蓄積
左はオウレン細胞より調製したプロトプラストにおけるベルべリンの蛍光写真。
右はプロトプラストより単離した液胞の微分干渉顕微鏡写真。黄色アルカロイドであるベルべリンの液胞内での蓄積が認められる(矢崎一史博士提供)。

おわりに
 以上、我々の研究分野で取り上げている様々な機能分化の多くは、細胞内小器官の分化と関連している。一方、これから目指す研究は細胞間の相互作用の解明を主にするものである。しかし、細胞内の現象が、細胞間のコミュニケーションに影響を及ぼすことはCND41研究で示唆したとおりである。今後、これら、細胞内、細胞間の現象を統一的に理解していきたいと考えている。また、現在の研究対象は植物であるが、植物特有とおもわれていたPRタンパク質にも動物(線虫)にホモローグが存在することが明らかになりつつある。植物と動物細胞の遺伝子発現には意外と共通点がある。比較的分化全能性の高い植物細胞と困難な動物細胞の違いを将来統一的に理解できればと思っている。

(文責 佐藤文彦)